先日の記事で、前祭の宵山の様子をお伝えしましたが、後祭についても7月24日の山鉾巡行に先立ち、3日間ほど宵山となります。
山鉾巡行の2日前、宵々山の様子です。
後祭の山鉾で、唯一烏丸通に建てられた、鈴鹿山(すずかやま)です。
平日夕方のラッシュ時を迎えて、すぐ脇をたくさんの車が通り過ぎていきます。
その他の山鉾を見に行くために、御池通の一筋南側の姉小路通を烏丸通から西へと進みます。
道路の上にも提灯が渡されてあり、お祭りの雰囲気を盛り上げていました。
黒主山(くろぬしやま)。
室町通に建てられた山の1つです。
ライトアップされた、山の上にある枝垂れ桜が綺麗ですね。
同じく室町通にある、鯉山(こいやま)。
黒主山の南に建てられています。
山の傍らにある町会所には、多くの人々が訪れていました。
室町通から蛸薬師通を東へ行くとすぐに、橋弁慶山(はしべんけいやま)に行き当たります。
町会所では、巡行の際に山に載せられる、牛若丸と弁慶の人形や、五条の大橋を見ることができました。
謡曲「橋弁慶」での、牛若丸と弁慶との戦いをモチーフにしています。
橋弁慶山から、蛸薬師通を西へ歩いて二筋目、新町通に入った北側には、北観音山(きたかんのんやま)が建っています。
鉾並みに大きくて、とても見栄えのする山です!
山の上では、お囃子が奏でられていました。
北観音山とは、蛸薬師通を挟んで反対側の南側に建つ、南観音山(みなみかんのんやま)。
こちらも、大きな山です。
華のある、華麗な山ですね。
後祭の山鉾巡行の最後尾を飾る、大船鉾(おおふねほこ)。
南観音山から更に新町通を南へ下がり、四条通を越えてすぐの所に建てられています。
前祭の船鉾と同様に、その名のとおり、船の形をしたユニークな鉾です。
この大船鉾、実に幕末以来150年ぶりの復活となる、今年の後祭の大きな目玉となっていたためか、鉾の周囲は物凄い人出で、大船鉾周辺のみ新町通が南行一方通行に規制されていました。
1864(元治元)年、蛤御門の変で焼失した鉾を再建、真新しさも手伝って、華やかな雰囲気が際立っていました!
後祭では、10基の山鉾が巡行を行ない(前祭では23基)、前祭と比べると規模も小さく、宵山でも四条通は交通規制されず、露店も殆ど出さない等、町衆の祭りとしての祇園祭の雰囲気の再現を図っているようでした。
人出も決して少なくはなかったですが、前祭よりは余裕をもって山鉾見物を楽しめた、祇園祭の後祭宵々山でした。
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